蔵春山 栄寶寺

栄寶寺本堂
壮観な33体の石像(本堂西側の高台に位置)
清兵衛さんの墓 右が宝篋印塔

栄寶寺の開創は、弘治元年3月13日(1555)である。永禄7年(1564)に望月清兵衛が建立し開基となった。

◇石造三十三番観世音像

昭和42年3月1日町指定

栄寶寺境内本堂南西側の一段高い場所に安置してある石像三十三体は、西国三十三番の霊場を巡拝した望月兵右衛門等が、各霊場の本尊である観世音菩薩を勧請(かんじよう)し石材に刻して寄進したもの。一体ごとに何番何寺と刻字されているが、字体の判読できるのは数体のみである。

その中の一体には、寛延4年8月(1751)望月兵右衛門供養碑とあり、背面には、「関西美濃国谷汲寺第三十三番施主望月万治郎」とある。最後の石碑の正面に「奉納大白牛車(だいびゃくごしゃ)」、右側面には「寛延四年当村住」、左側面に「日城廻国四月吉日望月兵右衛門」と刻まれている。

石材は本町の夜子沢石で、質はもろいが彫刻は見事である。

◇望月清兵衛の宝篋印塔(ほうきょういんとう)

昭和42年3月1日町指定

西島栄寶寺三十三番観世音を祭る一画の裏手にある一基の宝篋印塔は、西島和紙の始祖(紙祖)である望月清兵衛の墓である。台25cm、塔身34cm、笠29cm、相輪65cm、笠の反り100度で、形態は大変よく整っている。

清兵衛は天文10年(1541年室町時代末期・戦国時代)西島に生まれ、青年として一人前となるに及んで伊豆国田方郡立野村(たちのむら 現在の伊豆市修善寺)に赴き、紙漉きの技術を習得し、帰村後に製紙業を始めた。これが西島における製紙の始まりである。以後、西嶋においては一大産業として栄え地域の生活を支えてきた。

宝篋印塔の台座には、清兵衛の法名「寶玉祖珍庵主」と「弘治元年九月廿三日卒」とが刻字されている。

(用語解説)

【西国三十三所】近畿2府4県と岐阜県に点在する33か所の観音信仰の霊場の総称。

「三十三」とは、観世音菩薩が衆生を救うとき33の姿に変化するという信仰に由来し、西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされる。

【西国第三十三番札所】谷汲山華厳寺(たにぐみさんけごんじ)岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積にある天台宗寺院

【宝篋印塔】墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種である。五輪塔とともに、石造の遺品が多い。宝篋印陀羅尼経(経典 ほうきょういんだらにきょう)を中に納めることから、この名が生まれた。

(参考文献)

※中富町誌 第9編文化財1463頁から1464頁より引用