青原院

西嶋の文化財①/Cultural properties

 「冨向山青原院」町指定有形文化財

青原院は曹洞宗龍雲寺の末寺である。開基は小笠原小兼兵衛富清で、天文3年(1534年室町時代末期)の創建。病に倒れた富清の平癒を祈願し、妻・青原ノ前(あおはらのまえ)が建てた庵が青原院の前身である。

開創当初より480年間「十一面観世音菩薩」を本尊としている。

敷地は元禄16年(1703)までは揚桧にあったが、たびたびの水害に悩まされ、宝永5年(1708)桧新井より山本に移転し今日に至る。

◇惣門(そうもん)  昭和44年8月28日町指定

惣門は、間口6.37㍍、欅造りで屋根は瓦葺きである。天保9年10月(1838)再建に着工、翌天保10年晩春落成した。その後何回か瓦の葺き替え等改修工事がなされている。

簡素のうちにも建築の技術はすぐれており、この道の専門家もその技法を高く評価している。大屋根の両端の鬼瓦と、両袖の左右の棟瓦の16弁の菊花の紋章が印象的であり、また寺格を物語っているかの如くである。

◇鴟吻頭龍(しふんずりゅう) 昭和40年3月町指定

本堂内陣正面の欄間にある彫刻。工匠は下山邑(身延町下山)の石川七郎左衛門重甫68歳の作で、彼の円熟した技法がみごとに表現されている作品である。

鴟吻頭龍の彫刻は、当町内においては稀有のもので、それだけに貴重な文化財である。鴟(とび)の吻(くちさき)に似た長く曲る口頭・龍胴・龍尾の紫黒色で、尾の形の扇子を開いたような様子は、まさに鴟吻頭龍の名にふさわしい作品である。

龍長1.76㍍、幅0.36㍍で、天保8年7月(1837)の作と刻銘がある。安政2年(1855)西嶋の大火で堂宇(どうう)は焼失したが、彫刻は難を逃れ再建と同時に飾られた。

◇吻龍(ふんりゅう) 昭和40年3月町指定

本堂内正面鴨居にあって、その技法は精巧を極め、青原院吻龍まさに風雲を巻き起こすかの感があり、参詣者をしてひとしく驚嘆せしむるに足る名作である。長さ3.62㍍、幅0.36㍍。作者は、下山の名工石川七郎左衛門重甫で、天保8年(1837)江戸末期の作である。

(引用及び参考文献)
※青原院史21頁から23頁より引用
※中富町誌 第9編文化財1452頁から1454頁より一部引用