めがね橋

現存するめがね橋と天井川(京都府・京田辺市)

めがね橋(堤沢と駿州往還の交差点に架橋)

通称めがね橋は、堤沢(つつみさわ)から元県道を横断して架橋したもので、幕末に西島の西町に入婿した通称建松こと佐野松左衛門の設計によるものであった。

明治初年、役場から依頼されて大きな角石でめがね形に造ったもので、竜幡虎据(りゅうばんこぎょ)という諸葛亮(しょかつりょう)の名言に因んで蜷竜樋(ばんりゅうどい)ともよばれてきたが、明治40年の水害で流されてしまった。次ページの写真は明治17年ころの青原院献額の一部である。

当時、堤沢は天井川だったため、このめがね橋の箱どいから県道をまたいで水を落としたもので、駿州往還の一大名物であった。その後、昭和9年、笠井嘉一村長時代、天井川の土を削って水田にうめ、沢奥から現在の昭和川に回水工事を施工し、以後、押出水の水難を除くことができた。めがね橋の角石は現在小学校のスタンドに使われている。

【天井川(てんじょうがわ)】砂礫の堆積により河床(川底)が周辺の平面地よりも高くなった川である。

【箱樋(はこどい〔どひ〕)】断面がコの字形の樋(とい)。水車の導水路に用いる。はこひ。

【角石(かくいし)】方形(どの角も直角の四角形)に切った石。四角な石材。

【堤(つつみ)】川から水が溢れ出ないように岸に土を高く築いた土手。堤防のこと。

【竜蟠虎踞りゅうばんこきょ竜や、とらのように抜きんでた能力をもった者がある地域にとどまって、そこでその能力を存分に発揮すること。

諸葛 亮(しょかつ りょう)】181年‐234年 中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家、軍人。字(あざな)は孔明(こうめい)。

【蟠竜(ばんりゅう)地上にうずくまっていて、まだ天に昇らない竜。

押出(おんだし押出地域は、沢奥という。堤沢が氾濫して濁流が土砂を押出し、堆積されたので、地名となったと言われている。

※中富町誌(昭和46年11月刊行)第十編口碑と伝説 第三章交通の部1482頁~1483頁より引用